放浪記1:イタリア(ペサロ)

大学生になってすぐとあるクラシックのアンサンブルに所属していました。

その団体は海外ツアーが大変多く、いろんな国を旅しました。

その珍道中を少しずつご紹介して行きたいと思います。

 

まず、忘れもしない初めての海外は19歳の時イタリアからです。

 

イタリアは「Pesaro」(ペサロ正しくはペザーロ)でした。

場所的には・・・・

ここね。

 

真夜中にローマ空港に到着してバスにのりました。

バスは時速100Km程で暴走バスでした。

その時の私のお師範によると「イタリアはな、遅く走ったらスピード違反なんや。」

「だから全ての車は時速100km以上で走らなあかんのや。」

・・・。その時は信じましたが今思うとどうだろう。

ちなみにこのお師範は非常に誠実な表情と説明で大嘘をついては、

信じて騙される私たちを見て大笑いしている楽しい先生でした。

そんな先生に育てられて今の私はあります。

 

punch.gif誰ですか、納得してるの。

 

暴走バスの窓からコロッセオやピサの斜塔、ローマの松がライトアップされて、、、

感動的なはずが真夜中なのと時速が早すぎて感動しません!

初めて見る世界遺産なのに!!思い出を返せー!!

 

ま、置いといて、

次の日列車で移動してペサロに到着しました。

ペサロへ来た目的は「ロッシーニ劇場」で演奏する為です。

 

こんなとこ。キレイ!!

大学生になって私が産まれて初めて人前での演奏でした。

なんと光栄なのでしょう。感動的ですkira01.gif

忘れもしない、曲目は・・・・・・

後ほど思い出してから記載します。

 

punch.gif誰ですか、忘れてるやんなんてつっこむの。

 

その演奏日の朝、私は練習したくて早朝に起床して

ホテルから海岸に向かってサックスをしょって歩きました。

 

崖に立ち、民家も遠くは慣れて誰にも迷惑でない事を確認してから練習初めて約五分。

車が背後に停車しました。

 

見ると、まるでサンタクロースのような風貌のおじいさん。

(睡眠を邪魔してしまって怒ってるのかしら。)と心配して振り向くと

おじいさんは車からよっこらしょと降りてきました。

 

そして、帽子を取り深々と頭を下げ

「ぶおんじょーるの!しにょりーな〜!。」とおっしゃり

ハグをして握手をして笑顔で車で帰って行きました。

 

なんと、挨拶しただけ?

 

そして、いざ会場へ向かう時には信号で学生らしき男の子達が話しかけてきます。

いろんな言葉のチャンポンでなんとかロッシーニ劇場での演奏を伝えていると、

男の子達はいつのまにか二十人以上の大集団に・・・。

集団ナンパ?

 

話してみると初めて日本人見たとか。

 

後で知ったのですがペサロにはあまり観光客も行かない田舎なのです。

名物は劇場と謎のオブジェだけ。

 

そういや演奏したのはモーツアルトのディベルティスメントでした。

演奏は成功してスタンディングオベーションをもらったのですが、

あんまり記憶に無い。

感動しすぎると記憶が飛ぶのでしょうか。

 

そして、演奏を終え疲れて帰ろうとすると

まだ十歳かそこらの男の子が必死で自転車で私を止める。

身振りからすると自転車の後ろに私を乗せたいらしい。

 

いやいや無理やろうと手を振って歩いても叫んでついてきます。

 

ついに根負けして自転車の後ろに乗ったがな。

その時のボロボロの自転車と、ホテルの前まで送って

男の子がハグとキスをしてすっごく嬉しそうに見送ってくれたのを覚えています。

 

イタリアは幼い子からおじいさんまで女性の前を素通りは絶対しないという事を

目の当たりにして感心しました。

 

そして、演奏を終えてパーティーも終わり感動のままに眠って

やわらかい日差しで目覚めた次の日の朝、

起きるなり同僚のテナーサックスの女性が「おはよう」も言わずに

いきなりスーツケースからオセロ版を出して、私に

「紅はクロな。」と言って試合を挑み、私はボロ負けしたのを覚えています。

 

そして、ペサロを後にしてローマへと向かい珍道中は本格的に始まりを迎えます。

また時々放浪記の続きをお届けしますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

村田 紅
大阪音楽大学卒業後ミ・ベモルサクソフォンアンサンブルメンバーとしてヨーロッパ諸国やアメリカカーネギーホールやタイ王室、中国などでのクラシック音楽の演奏を経てジャズ、ラテン、現代音楽とジャンルにとらわれない演奏スタイルを確立。 音楽理論、ソルフェージュのレッスンも行っている。